2013年5月30日木曜日

Truman State University卒業に至るまで③

9月、海外ボランティア兼バックパック旅から大阪に戻って来た。

そして、大学後期の授業を受けている中で感じ始めたのが「自分はこのままでいいのか」ということ。

渡航前後での変化: 
それは、異なる文化で育った人がいて、見た事も経験した事もない世界が外にはたくさんあるのに、日本だけで一生を終わってしまうのは


 もったいない


ということ。

それに加え、ここ関西外国語大学で


 なんとなく英語を学んでいるだけで果たしていいのか


という危機感を抱くようになった。

大学卒業までの4年間、自分の時間と親のお金を無駄にしたくはない。

ここで本当になりたい自分になれるのか?
卒業後に自分の強みが英語だけで通用するのか?
はたして、好きな事をして働ける事はできるのか?

こう自問自答し続けていた中で漠然と留学をしたいという想い(夢)は消えることはなかった。

さてどうしたらいいのかわからないときに、大学で知り合ったのが中国系アメリカ人(ABC: American-Born Chinese) Jamesだった。

彼に後日、友人とハイキングに行くから一緒にどう?と誘われたので、とりあえず行ってみる事に。

行ってみたはいいが、またこれが予想外のメンツで、

友人?のはずなのに、40代のおじさんおばさんが6人に、20代は5人といった奇妙なグループというのが最初の印象だった。



なんなんじゃこの集まりは。。。



しかもJames以外は予想外の全員日本人。

まあなんだかんだで山に上り、休憩がてら何かレクリエーションをやるということに。



「だるまさんが転んだ」。



これにはさずがに。。。

できないと言える訳もなく「ええい、ままよ」とやることに。

この日はなんとか乗り越えたが、このハイキング参加が自分にとっての大きな転機になるとは思ってもいなかった。



『Truman State University卒業に至るまで④』に続く。




Today's Quote:

人の世には道は一つということはない。道は百も千もある
-坂本龍馬

2013年5月17日金曜日

Truman State University卒業に至るまで②

振り返るのは今から約7年前。

高校3年生当時の大学受験に差し掛かった当初、英語を学びたい(英語を話せたらカッコいいだろうな)という理由で 北九州市立大学 を地元の親友と目指した。

受験勉強をしていく中で、徐々に留学したい(外の世界に行ってみたい)と思うようになり、北九大を受験することなく(親友にはすまないと思っている)、大学からの派遣留学生数が当時一番多かった大阪府にある関西外国語大学に行くことを決心した。



そして4月、無事に希望していた同大学の学生になることができた。

新鮮な学生生活ではあったものの、英語ネイティブの先生が受け持つ授業以外は、面白いと思うような科目には恵まれなかった。

周りの学生にしても、特にこれといったやりたいこともなく大学には卒業する為に通っているといった感じの「なんとなく学生」が大半だった。

そんな環境の中で、留学する為だけに計4年間この大学に在籍するのは「あり」か「なし」かと悶々と自問し続けた。



そして 2007年8月、大学1年目の夏休みに入った。

夏休みに入る前に大学に来ていたCIEE(海外ボランティアを推進する国際NGO)に申し込んで於いたプログラムの返答が来ていた。



渡航先はフランス。



希望の英語圏には行けずに第二外国語として当時履修していた言語の国へ行くことが決まった。

19歳にして初海外。

しかも地球の反対側でフランス語は全くしゃべれず、英語は一般的な大学1年生レベル。

場所はフランスの、Toulouseから数時間のSt. Izeraという片田舎の村。

参加メンバーはヨーロッパ人が多数派のフランス、スペイン、ドイツ、北欧からの10数人でアジアからは日本人2人、韓国人2人(韓国人ら途中帰国)のワークグループ。

マイノリティということもあり、その中でのカルチャーショック+ホームシック。

寝食を共にするメンバーと意見を交換していく中で、自分の中に確固たる意見がないことに加えて、英語(フランス語)で言いたいことを言えないことの悔しさを痛感。

高い渡航費を出してまでどうしてボランティアに来たのかを考える日々。

ボランティアをしたかったというよりも、ただ単に海外に行くきっかけがほしかったという不純な動機で動いていた自分。

だけど今振り返ってみると、結果的に「日本」という殻を破ったことが自分の中では大きかったのかなと。

出発前に貯めた2か月間のバイト代はなくなったが、4週間のフランス田舎滞在と1週間のパリ、ロンドンでの初バックパック旅を体験したことは自分の世界を1つ大きくする上での最初の一歩となったことは確かだと今では思う。



そして最後にもう一つ、芸術の都パリは意外に汚かった。。。




『Truman State University卒業に至るまで③』に続く。



Today's Quote:

A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.
-Bob Dylan

2013年5月10日金曜日

Truman State University卒業に至るまで①

今は金曜日の朝4時頃。

残り2日でトルーマン州立大学(Truman State University)での留学生としての学生生活が幕を閉じる。

今日がFinal(期末試験)最後でComputer Science(コンピュータ科学)の残りの課題と試験を終えれば、無事明日には卒業式が待っている。


ふと、「ihayato.書店」というサイトで 『[寄稿]体験記:日本の高校からアメリカの大学へ進学する(青木光太郎』 という記事を読んだ。

この記事の中で、青木光太郎さんは新たな大学生活を始めるにあたってこう綴っている。

合格した千葉大学園芸学部の緑地環境学科に興味はなかったものの、「もっと多くのことを知って、多くの人に会って、自分と世界について考えを深めていこう」という思いで進学を決めたのだった。
しかし、千葉大に入学した後で気づいたのだが、日本の大学教育は自分の思っていたものと大きく違っていた。
「楽だから」という理由で授業を選択している学生が多く、純粋に勉強することに興味を持っている人はあまり見られない。教授と生徒の交流もあまりなく、授業中にアイディアの交換の場はない。その代わりにサークルやバイトに夢中な学生たちを見て、何かが違うと私は思った。先輩たちに話を聞いても、大学教育そのものに価値を見出している人はあまりいなかった。
その違和感に加えて、自分の将来への不安も芽生えてきた。この環境で4年間過ごした末に、どれだけ自分の中に残るものがあるだろうかと。周りの雰囲気に流されて過ごし、そのまま就職していくのは絶対に嫌だという気持ちがあった。

これは、自分が関西外国語大学に入学して感じたものを代弁してくれているようなもので、当時(5、6年前)は自分も全く同じ境遇に直面していた。

今回アメリカでの大学卒業に至るまでには、

関西外大に1年通って退学
→京都インターナショナルユニバーシティ編入2年間在籍
→トルーマン州立大学編入2年半在籍、明日卒業

といった道を歩んできた。

編入での単位移行の関係で、5年半の学生生活+半年間の休学生活 の計6年間を大学生として終えたことになる。(学生の期間が長すぎたのが吉とでるか、凶とでるかは、これからの行動にかかっている。)

明日卒業するに当たり今回の記事で、自分のここに至るまでの原点を振り返ることができたのはすごく有難い。

なのでこれから数回に渡り、今までの経緯をストーリー仕立てで投稿していくことにする。



『Truman State University卒業に至るまで②』に続く。



Today's Quote:

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
- Steve Jobs