2013年1月18日金曜日

モノの見方が変わった

アメリカの大学に戻ってきて早数日が経った。

1学期間休学して、原付での日本旅、フィリピンでのインターン、世界バックパック旅、日本へ帰国した。

アメリカに戻ってきて大学へ戻るまでに、空港からAmtrak(アメリカの電車)の駅までをバスで移動した際に、バスの運転手と乗客がすごくフレンドリーだった。運転手のおじさんは、運転席近くの乗客のおじさんと話している。すこし後から乗ってきた黒人のおばちゃんは、先に乗っていた白人のおばちゃんと話している。朝5時半の始発のバスでの彼らにとってはなんでもない日常なんだと思う。1年前の自分だったら、こういうことには感動していなかったはずだし、こういうのが普通だと思っていた。バスで、乗る前に買ったばかりのコーヒーを床に倒してしまった時には焦ったけど、嫌な顔をせずに拭くのを手伝ってくれた運転手と乗客のおじさんには、精神的に助けられた。

話は変わって、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という催しを聞いたことがあるだろうか。これは暗闇の中でのエンターテイメントで、アテンド(視覚障害者)に誘導されて真っ暗闇の中を進んでいく。視覚以外の五感を頼りに暗闇での参加者との交流を楽しむというもの。これを東京で体験して、今まで(生活での8-9割を占める)視覚からの情報に頼りすぎていた、ということ、暗闇は思ったほど怖いものではない、ということ、そして目に見えない状態だからこそ、たくさん気付くことがあった。自分の中での世界が広がったように思う。

2012年12月24日月曜日

世界旅、一段落

旅を終えた。

フィリピンを出発し

  1. 香港
  2. 中国(深セン)
  3. マカオ
  4. 中国(珠海、広州、南寧)
  5. ベトナム(ハノイ、フエ、ホイアン、ニャチャン、ムイネ、ホーチミン)
  6. バングラディシュ(ダッカ、シレット)
  7. インド(コルカタ、ヴァラナシ、アグラ、デリー、リシケシュ、ムンバイ)
  8. エジプト(カイロ、ダハブ)
  9. イスラエル(エルサレム)
  10. トルコ(イスタンブル)
  11. ドイツ(イェーナ、ベルリン、ケルン)
  12. ベルギー(アントワープ、ブリュッセル)
  13. ドイツ(ケルン、イェーナ、ベルリン)
今は東京に戻っている。

結果から言って、当初予定していたヨーロッパ後の中米(メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ニカラグア、ホンジュラス)からアメリカの大学まで戻る旅は失敗に終わった。

途中、ベルギーのアントワープにて盗難にあってしまった。パソコンに入れていたデータや今回の旅での写真を全て失い、データはクラウドで保存するべきというのを学んだ。

そして、今は東京にいる。友人宅に居候中。男7人でシェアハウスをしてるところに転がり込んで早十日。シェアハウス、思っていた以上の良さ。本は共有できるし、食事は(交互に作って)一緒に食べられるし、たまに語り合うこともできる。そしてなにより、帰ったら誰かいるってのも良い。

アメリカの大学でするシェアハウスとはまた違う。少しぐらいは問題は出てくるけど、それは全然どうにかなるレベルで、もし今後東京に住むならシェアハウスもいいなと思う。

Wrote at 2012/12/24 



2012年11月10日土曜日

エジプトのダハブにて

今は、エジプトのダハブという紅海の海岸沿いの街にいる。

原付カブ旅を1ヶ月間、フィリピンでのインターンを3ヶ月間、現在の世界バックパック旅の3ヶ月間というスケジュールで、今は2ヶ月目で旅の中盤といったところ。今は大学休学中で、来学期(春学期)に復学し、2013年5月に卒業を予定している。

この投稿を書く前に、今まで書いてきたブログ記事を読み返した。この半年で目指すものが変わってきたように感じる。かっこよく見える、コンサルや投資銀行の業界に、また論理的思考力などに少し固執しすぎていた自分を垣間見た気がした。

今回の旅で色んなものを見、感じていく中でやりたいことが出てきた。留学関連の電子書籍を1つ書いて、そこから留学支援を学生に個人的に行っていきたい。今まではたくさんのアイデアが出てきては消え、やってみてはだめになり、といったことが多かったけども、これはどこかのタイミングで挑戦してみたいことだと思っている。

2012年6月5日火曜日

原付カブ旅開始

2012年5月22日、ホンダのカブ50ccに乗り、実家福岡県から旅を開始する。

そして、今回挑戦することは3つある。

  1. 日本列島横縦断、原付カブ旅
  2. フィリピンでの3ヶ月インターン
  3. 世界周遊バックパック旅

今回の原付での旅は、出発前から母に反対され雲行きが怪しかった。2年前の留学では実際、父が反対していて、母が後押ししてくれ「あんたがやりたいことならサポートしてあげる」と、母の助けがありなんとか父を説得できた。

今回はというと。母が反対している状況で、父におそるおそる話してみると、特に反対することもなく「やってもいい」という。いつも反対されるから、これには驚いた。

近所のバイク屋に手当たりしだいに電話をかけまくり、なんと発見したのが破格、4万円中古カブ号。見た目もそれほど悪くなく、エンジンも問題ない。早速購入、2日後自宅に届く。次の日は雨で出れず、その次の日は寝坊してしまい、結局原付バイク到着3日後、いざ大分別府へとカブ号を走らせた。



2012年5月26日土曜日

姉の結婚式

5月12日、2つ上の姉が結婚した。高校までは喧嘩ばかりだったけど、唯一の姉弟だから今回のことは本当に嬉しい。

アメリカでの大学の授業が5月4日までで、日本に帰ってこれたのが5月9日とかだったからわざわざ調整してくれたのか、それともたまたまなのか、いやいや両親の結婚記念日と同じ日にしたかったのかはわからないけど、出席できてよかった。

姉は緊張観もなくその日の朝11時頃までは家で寝ていたのには驚いたけど、事前の準備は万全だったみたい。

親戚の子供たちを楽しませるための工夫がたくさんあり、ちょっとしたサプライズなどもあって楽しめた。そしてビデオを作っていたりで、お父さんお母さんに感謝の気持ちを正直に伝えていた。


2012年4月21日土曜日

自己紹介






三村 信也(Shinya Mimura)

【自己紹介】
・ 1988年4月21日、福岡県の片田舎で生まれる
・ 4人家族(父、母、姉)の長男
・ モットー:    出る杭であれ。
・ 学位:           BA in Business Administration (International Business専攻、Asian Studies副専攻)
・ 長期滞在暦: 福岡18年→大阪京都3年→アメリカ2年半→東京4ヶ月(今ここ)

【これまでの活動】
・ 小・中学校で6年間少年野球クラブと野球部に所属。ポジションは一塁、右翼、稀に投手。
・ 高校にて1年間空手を経験、その後、一時期音楽活動。ボーカル、ギター、ドラムを中途半端にかじる。
・ 高校卒業後は大阪の外国語大学へ進学、留学を目指す。
・ 大学1年夏、19歳で初海外フランスにてボランティア+バックパッキング旅経験。
・ 授業の一環で、初アメリカ、カリフォルニア州サンディエゴにて滞在。
・ 1年間ほど学生団体・関西Favlicにてイベント開催や写真展に携わる。
東南アジア諸国をバックパッキング(タイ→カンボジア→ベトナム)。
 米国ミズーリ州Truman State Universityに3年次編入。
・ 震災後、同大学にてH.E.A.L.Japan活動を行い、義捐金総額$9200をAmerican Red Crossに託す。
・ 中国、上海海事大学にて短期語学留学。→後中国を少しバックパッキング旅(大連→青島)。
初東京滞在、ファストリテイリング(ユニクロ)インターン。
・ 英字新聞記者(ニューヨークタイムズフリージャーナリスト)の元でインターン
・ 東京-四国間をヒッチハイクで往復。
・ 同大学にてJapanese Club立ち上げ。
・ 冬休みに中米へのバックパッキングを試みるもパスポート紛失で断念、直前キャンセル...
・ 日本列島をホンダ原付カブにて、九州から西へ横断後、北海道まで縦断旅1ヶ月間。
・ Truman State University、1学期間休学ギャップイヤー突入)!
・ フィリピンGaiaX Asiaにて事業拡大3ヶ月インターン
・ 後そのままフィリピンスタートで→香港→マカオ→中国→ベトナム→バングラディシュ→インド
 →エジプト→トルコ→ドイツ→そしてベルギーにて貴重品+パスポートの盗難に遭い世界一周バックパック旅断念...
・ 2度目の短期東京滞在、友人のシェアハウスに居候。
・ 2度目のヒッチハイク、25時間程で5台乗り継ぎ東京から→実家福岡へ帰郷。
・ Truman State University復学、最後の学期、2013年5月に無事卒業
卒業旅行として友人と車で一路、ミズーリ州からカリフォルニア州を目指す。
・ 2013年6月から東京、西日暮里に滞在中。
・6月からの3−4ヶ月間ほど全研本社というIT系の日系企業でインターン(アルバイト)。
・9月からLocariseというフランス人エンジニアが3人で立ち上げたStartup企業で働くことを決意、唯一の日本人としてSalesを担当。

2013年10月5日更新

2012年3月12日月曜日

東日本大震災を振り返って

滞在先の地元の記者に記事に取り上げてもらった。

Japanese students attending Truman State reflect on tsunami and their fundraising efforts
: Locals reflect on the one year anniversary of tsunami and earthquake that wiped out a region of Japan.



ただ、伝えたかったことがほとんど伝わってない。


今回、1年経った今日2012年3月11日に震災について振り返ってみた。阪神淡路大震災のときは自分は保育園児だったからなのか、全くと言っていいほど記憶がない。だけど今回の3.11のことは、この先もずっと記憶に留まり続けると思う。実際に現地に行くことは結局できなかったが、海外で日本の危機を目の当たりにしてきた。一年前は(自分が)旅先での出来事だったので、一番最初はTVのCNNニュースを通して、その後はインターネットで情報を集めた。また、Twitterの情報伝達力のすごさを知ることができた。留学前にTwitterアカウントを作り、本格的に使い始めたのは震災後から。情報は入り乱れているが、何が正しいそうでないかの判断は自分で判断する良い経験にもなるだろう。

自分の国の政府だからと言って信用できないことも知った。地震発生後の政府の対応、特に、国民の命第一で正しい情報を伝えようとしない(しなかった)ということ。それにはいくつもあるが例えば、日本政府は30キロ圏内退去、他国(米国を中心とした欧米諸国や近隣国韓国など)政府の50マイル=80キロ圏内退去の避難勧告。日本政府は日本独自の基準で30キロ、他国政府もそれぞれで独自の基準で(どの国も)80キロ前後。さらに、災害が起った際の情報がほどんどない初期の段階では、最悪のケースを想定して行き過ぎたぐらいの手を打つのが国際基準であるのだけれど、日本政府は最初から30キロ(他国政府は80キロから徐々に減らしていった)。放射能漏れについて確かなことがわからないにもかかわらず。本来なら不確かな危険がある際は予測以上に警戒すべきで、調査が進み情報があつまり出したころになって初めて危険度を下げていく。こういったことからも今の民主党政権を信じることは自分には難しい。

少し話が逸れたが、日本での震災後の変化は確かにあったと思う。失った人や物は多いが、その反面得たモノもある。人と人とのつながりの大切さ、日本文化に生きる日本人として人間性、例え外国人であろうとも同じ人間としての交わり。こういった人間味溢れるモノに触れることが出来た。