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2013年11月15日金曜日

Truman State University卒業に至るまで④ ~ 大学変更

さて、先に結論を言うと、関西外国語大学は1年で辞めるに至った。

というのも、大学で得たものはほとんどなかったからだ。

授業には出ていたものの、結局何の学習/勉強には繋がらず、バイトをこなす毎日。
100万近く授業料は払ったものの、10万程も元は取れていないと思う。
両親が汗水流して稼いだお金と、無利子ではあるものの借りていた奨学金、
これらは絶対に無駄にしたくはないという想いが常にあった。


前のエントリーで書いたJames(ジミー)のハイキングの集まりは、実はクリスチャン(キリスト教徒)の人々の集まりで、今までそういった人たちと関わったことのなかった自分はもろに面を食らってしまったというわけだ。

話してみるととてもいい人たちだった(雰囲気が日本人のそれと全く違った)ので後日、おそるおそる教会(日曜礼拝)と言われるものにジミーに連れられ顔を出してみた。

行ってみると、なんと牧師さんが日本語と英語の同時通訳で何か話している。
これは(英語を学ぶ良い機会で)面白いぞ、という感じで2、3週間に1回のペースで通い始めた。

ジミーは途中で本国アメリカに帰国したが、その後「留学はしたいが、大学のことでどうしようか」とその牧師さんに相談してみた。

自分と同い年ぐらいの娘さん2人が通っていた京都府のインターナショナルスクールに一度行ってみたらどうか、ということになった。(その娘さんの1人は当時ロサンゼルスの大学に留学中、もう1人はもうすぐ同じ大学に行くというタイミングだった。)


じゃあ、ということで体験授業に行ってみた。

最終的にはそのインターナショナルスクールの大学部、Kyoto International University(京都インターナショナルユニバーシティ、以下KIU)に行くことになるのだが、いくつか懸念点があった。
  • クリスチャンスクールであるということ。(家系は仏教系なので)
  • 文部科学省に認められた正式な大学ではないので、日本では専門学校であるということ。(アメリカのリベラルアーツ教育のカリキュラムを組んでいるので、アメリカでは大学として問題ない。)
  • 大学部の全生徒わずか20、30人足らず。(アカデミーの小中高では合わせて300人程。)
その反面、魅力的だったところは
  • 英語での授業が積極的に行われている。
  • 興味の合ったビジネスや国際関係も学べる。
  • 米国大学正規留学(編入)に向けての準備ができる。
  • その際、多くの授業単位を移行できる。
  • 教授は米国の一流大学出身だったり、そこで教授をしていたり。
  • 少人数クラスなので、より学ぶ機会が多い。
といった感じ。

クリスチャンじゃなくても入学できるということで母に相談し、授業料をすでに払ってしまっている現大学には3月までは通い、4月からはKIUに移ることにした。

そして大阪府枚方市から引越はせず、原付をとばして京都府京田辺市まで30分かけて大学へ毎日通うようになった。

大学を辞めて普通の人にはどことも分からない大学へ行くのには父は大反対だったのだが、この時母がなんとか父を説得してくれたので、母にはとても感謝している。



Truman State University卒業に至るまで⑤に続く。

2013年5月30日木曜日

Truman State University卒業に至るまで③

9月、海外ボランティア兼バックパック旅から大阪に戻って来た。

そして、大学後期の授業を受けている中で感じ始めたのが「自分はこのままでいいのか」ということ。

渡航前後での変化: 
それは、異なる文化で育った人がいて、見た事も経験した事もない世界が外にはたくさんあるのに、日本だけで一生を終わってしまうのは


 もったいない


ということ。

それに加え、ここ関西外国語大学で


 なんとなく英語を学んでいるだけで果たしていいのか


という危機感を抱くようになった。

大学卒業までの4年間、自分の時間と親のお金を無駄にしたくはない。

ここで本当になりたい自分になれるのか?
卒業後に自分の強みが英語だけで通用するのか?
はたして、好きな事をして働ける事はできるのか?

こう自問自答し続けていた中で漠然と留学をしたいという想い(夢)は消えることはなかった。

さてどうしたらいいのかわからないときに、大学で知り合ったのが中国系アメリカ人(ABC: American-Born Chinese) Jamesだった。

彼に後日、友人とハイキングに行くから一緒にどう?と誘われたので、とりあえず行ってみる事に。

行ってみたはいいが、またこれが予想外のメンツで、

友人?のはずなのに、40代のおじさんおばさんが6人に、20代は5人といった奇妙なグループというのが最初の印象だった。



なんなんじゃこの集まりは。。。



しかもJames以外は予想外の全員日本人。

まあなんだかんだで山に上り、休憩がてら何かレクリエーションをやるということに。



「だるまさんが転んだ」。



これにはさずがに。。。

できないと言える訳もなく「ええい、ままよ」とやることに。

この日はなんとか乗り越えたが、このハイキング参加が自分にとっての大きな転機になるとは思ってもいなかった。



『Truman State University卒業に至るまで④』に続く。




Today's Quote:

人の世には道は一つということはない。道は百も千もある
-坂本龍馬

2013年5月17日金曜日

Truman State University卒業に至るまで②

振り返るのは今から約7年前。

高校3年生当時の大学受験に差し掛かった当初、英語を学びたい(英語を話せたらカッコいいだろうな)という理由で 北九州市立大学 を地元の親友と目指した。

受験勉強をしていく中で、徐々に留学したい(外の世界に行ってみたい)と思うようになり、北九大を受験することなく(親友にはすまないと思っている)、大学からの派遣留学生数が当時一番多かった大阪府にある関西外国語大学に行くことを決心した。



そして4月、無事に希望していた同大学の学生になることができた。

新鮮な学生生活ではあったものの、英語ネイティブの先生が受け持つ授業以外は、面白いと思うような科目には恵まれなかった。

周りの学生にしても、特にこれといったやりたいこともなく大学には卒業する為に通っているといった感じの「なんとなく学生」が大半だった。

そんな環境の中で、留学する為だけに計4年間この大学に在籍するのは「あり」か「なし」かと悶々と自問し続けた。



そして 2007年8月、大学1年目の夏休みに入った。

夏休みに入る前に大学に来ていたCIEE(海外ボランティアを推進する国際NGO)に申し込んで於いたプログラムの返答が来ていた。



渡航先はフランス。



希望の英語圏には行けずに第二外国語として当時履修していた言語の国へ行くことが決まった。

19歳にして初海外。

しかも地球の反対側でフランス語は全くしゃべれず、英語は一般的な大学1年生レベル。

場所はフランスの、Toulouseから数時間のSt. Izeraという片田舎の村。

参加メンバーはヨーロッパ人が多数派のフランス、スペイン、ドイツ、北欧からの10数人でアジアからは日本人2人、韓国人2人(韓国人ら途中帰国)のワークグループ。

マイノリティということもあり、その中でのカルチャーショック+ホームシック。

寝食を共にするメンバーと意見を交換していく中で、自分の中に確固たる意見がないことに加えて、英語(フランス語)で言いたいことを言えないことの悔しさを痛感。

高い渡航費を出してまでどうしてボランティアに来たのかを考える日々。

ボランティアをしたかったというよりも、ただ単に海外に行くきっかけがほしかったという不純な動機で動いていた自分。

だけど今振り返ってみると、結果的に「日本」という殻を破ったことが自分の中では大きかったのかなと。

出発前に貯めた2か月間のバイト代はなくなったが、4週間のフランス田舎滞在と1週間のパリ、ロンドンでの初バックパック旅を体験したことは自分の世界を1つ大きくする上での最初の一歩となったことは確かだと今では思う。



そして最後にもう一つ、芸術の都パリは意外に汚かった。。。




『Truman State University卒業に至るまで③』に続く。



Today's Quote:

A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.
-Bob Dylan

2013年5月10日金曜日

Truman State University卒業に至るまで①

今は金曜日の朝4時頃。

残り2日でトルーマン州立大学(Truman State University)での留学生としての学生生活が幕を閉じる。

今日がFinal(期末試験)最後でComputer Science(コンピュータ科学)の残りの課題と試験を終えれば、無事明日には卒業式が待っている。


ふと、「ihayato.書店」というサイトで 『[寄稿]体験記:日本の高校からアメリカの大学へ進学する(青木光太郎』 という記事を読んだ。

この記事の中で、青木光太郎さんは新たな大学生活を始めるにあたってこう綴っている。

合格した千葉大学園芸学部の緑地環境学科に興味はなかったものの、「もっと多くのことを知って、多くの人に会って、自分と世界について考えを深めていこう」という思いで進学を決めたのだった。
しかし、千葉大に入学した後で気づいたのだが、日本の大学教育は自分の思っていたものと大きく違っていた。
「楽だから」という理由で授業を選択している学生が多く、純粋に勉強することに興味を持っている人はあまり見られない。教授と生徒の交流もあまりなく、授業中にアイディアの交換の場はない。その代わりにサークルやバイトに夢中な学生たちを見て、何かが違うと私は思った。先輩たちに話を聞いても、大学教育そのものに価値を見出している人はあまりいなかった。
その違和感に加えて、自分の将来への不安も芽生えてきた。この環境で4年間過ごした末に、どれだけ自分の中に残るものがあるだろうかと。周りの雰囲気に流されて過ごし、そのまま就職していくのは絶対に嫌だという気持ちがあった。

これは、自分が関西外国語大学に入学して感じたものを代弁してくれているようなもので、当時(5、6年前)は自分も全く同じ境遇に直面していた。

今回アメリカでの大学卒業に至るまでには、

関西外大に1年通って退学
→京都インターナショナルユニバーシティ編入2年間在籍
→トルーマン州立大学編入2年半在籍、明日卒業

といった道を歩んできた。

編入での単位移行の関係で、5年半の学生生活+半年間の休学生活 の計6年間を大学生として終えたことになる。(学生の期間が長すぎたのが吉とでるか、凶とでるかは、これからの行動にかかっている。)

明日卒業するに当たり今回の記事で、自分のここに至るまでの原点を振り返ることができたのはすごく有難い。

なのでこれから数回に渡り、今までの経緯をストーリー仕立てで投稿していくことにする。



『Truman State University卒業に至るまで②』に続く。



Today's Quote:

Your time is limited, so don’t waste it living someone else’s life. Don’t be trapped by dogma — which is living with the results of other people’s thinking. Don’t let the noise of others’ opinions drown out your own inner voice. And most important, have the courage to follow your heart and intuition. They somehow already know what you truly want to become. Everything else is secondary.
- Steve Jobs

2013年3月1日金曜日

テスト勉強

今は10:30pmで、図書館でテスト勉強中。

Business Administration Major (経営学専攻)の総仕上げのクラスで、Strategic Management(戦略経営)という科目の勉強をしている。主には今まで学んできたことを、様々なケーススタディを通して、分析、評価をし、その後のそれぞれの会社の方向性を見出していくというもの。

出てきている用語、理論としては例えば、マイケル・ポーターのFive Forces、SWOT Analysis(Strength-強み, Weakness-弱み, Opportunity-機会, and Threads-脅威)、Competitive Advantage(競争優位)、Generic Strategy(包括的戦略)、Blue Ocean Strategy(ブルーオーシャン戦略)など。

そしてグループワークとしてオンラインで、The Business Strategy Game (仮想戦略ゲーム)をやっているのがなかなか面白い。


スポーツシューズの市場にて、クラスの他7グループが競争相手となり、

  • ROE(Return On Equity、株主資本利益率)
  • EPS(Earnings Per Share、1株当たり利益)
  • Net Revenue(総利益)
  • Market Share(市場占有率)
  • Financing(財務戦略、資金繰り)
など総合的に分析しながら、いかに利益を上げられるかを試行錯誤して競っていく。


話は戻って、今は図書館にて友人と明日のテストに向けて勉強をしている。今までのクラスの中で一番友人の割合が多いクラスなので、お互いに助け合いながら学んでいるのが特に良い。卒業後に会社で働くことになれば、こうやって切磋琢磨しながら学んでいけることを願う。




2013年1月18日金曜日

モノの見方が変わった

アメリカの大学に戻ってきて早数日が経った。

1学期間休学して、原付での日本旅、フィリピンでのインターン、世界バックパック旅、日本へ帰国した。

アメリカに戻ってきて大学へ戻るまでに、空港からAmtrak(アメリカの電車)の駅までをバスで移動した際に、バスの運転手と乗客がすごくフレンドリーだった。運転手のおじさんは、運転席近くの乗客のおじさんと話している。すこし後から乗ってきた黒人のおばちゃんは、先に乗っていた白人のおばちゃんと話している。朝5時半の始発のバスでの彼らにとってはなんでもない日常なんだと思う。1年前の自分だったら、こういうことには感動していなかったはずだし、こういうのが普通だと思っていた。バスで、乗る前に買ったばかりのコーヒーを床に倒してしまった時には焦ったけど、嫌な顔をせずに拭くのを手伝ってくれた運転手と乗客のおじさんには、精神的に助けられた。

話は変わって、「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という催しを聞いたことがあるだろうか。これは暗闇の中でのエンターテイメントで、アテンド(視覚障害者)に誘導されて真っ暗闇の中を進んでいく。視覚以外の五感を頼りに暗闇での参加者との交流を楽しむというもの。これを東京で体験して、今まで(生活での8-9割を占める)視覚からの情報に頼りすぎていた、ということ、暗闇は思ったほど怖いものではない、ということ、そして目に見えない状態だからこそ、たくさん気付くことがあった。自分の中での世界が広がったように思う。

2012年3月12日月曜日

東日本大震災を振り返って

滞在先の地元の記者に記事に取り上げてもらった。

Japanese students attending Truman State reflect on tsunami and their fundraising efforts
: Locals reflect on the one year anniversary of tsunami and earthquake that wiped out a region of Japan.



ただ、伝えたかったことがほとんど伝わってない。


今回、1年経った今日2012年3月11日に震災について振り返ってみた。阪神淡路大震災のときは自分は保育園児だったからなのか、全くと言っていいほど記憶がない。だけど今回の3.11のことは、この先もずっと記憶に留まり続けると思う。実際に現地に行くことは結局できなかったが、海外で日本の危機を目の当たりにしてきた。一年前は(自分が)旅先での出来事だったので、一番最初はTVのCNNニュースを通して、その後はインターネットで情報を集めた。また、Twitterの情報伝達力のすごさを知ることができた。留学前にTwitterアカウントを作り、本格的に使い始めたのは震災後から。情報は入り乱れているが、何が正しいそうでないかの判断は自分で判断する良い経験にもなるだろう。

自分の国の政府だからと言って信用できないことも知った。地震発生後の政府の対応、特に、国民の命第一で正しい情報を伝えようとしない(しなかった)ということ。それにはいくつもあるが例えば、日本政府は30キロ圏内退去、他国(米国を中心とした欧米諸国や近隣国韓国など)政府の50マイル=80キロ圏内退去の避難勧告。日本政府は日本独自の基準で30キロ、他国政府もそれぞれで独自の基準で(どの国も)80キロ前後。さらに、災害が起った際の情報がほどんどない初期の段階では、最悪のケースを想定して行き過ぎたぐらいの手を打つのが国際基準であるのだけれど、日本政府は最初から30キロ(他国政府は80キロから徐々に減らしていった)。放射能漏れについて確かなことがわからないにもかかわらず。本来なら不確かな危険がある際は予測以上に警戒すべきで、調査が進み情報があつまり出したころになって初めて危険度を下げていく。こういったことからも今の民主党政権を信じることは自分には難しい。

少し話が逸れたが、日本での震災後の変化は確かにあったと思う。失った人や物は多いが、その反面得たモノもある。人と人とのつながりの大切さ、日本文化に生きる日本人として人間性、例え外国人であろうとも同じ人間としての交わり。こういった人間味溢れるモノに触れることが出来た。

2012年1月14日土曜日

冬休み

冬休み、一人旅と友人との旅行を予定していた。

メキシコへの一人バックパック旅をする予定で長距離バスを予約していたが、パスポートが見つからず、出発できずに断念。自分のふがいなさを痛感。最悪、パスポートは再発行すれば大丈夫だと高をくくっていたが、それだけでは終わらず、I-94とF-1ビザ(学生ビザ)の再発行も必要だということに気づく。ああ、シカゴまで行かなければならない。

そしてもう1つは友人とのスキー旅行。4泊5日でミズーリ州カークスビルからミネソタ州まで車を走らすこと7、8時間。2日目と3日目をフルに使ってスノーボードを満喫することができた。そして4日目と5日目はミネソタ州最大の都市ミネアポリスを観光。ダウンタウン散策、全米有数の美術館(The Minneapolis Institute of Arts)、全米第二の大きさを誇るショッピングモール(Mall of America)など。また、今回の旅行での食事は申し分なかった。

一番はベトナム料理のワンタン麺。ここまでおいしい麺料理を食べたのは久しぶり。スープが格別。



二番目は香港料理、料理6種をみんなでシェアして食べた。エビとチンゲン菜に白くて甘酸っぱいタレを絡めた料理にご飯が進んだ。このタレは自分でも作ってみたい。



三番目はインド料理。インドカレーのビュッフェ、辛味がそれほどないインドカレーだったがとても美味しかった。

ボストンキャリアフォーラムを終えて

ボストンキャリアフォーラムでの就活。

結果は、惨敗。苦手な筆記試験は実らず、ウォークインの面接では話が上手くまとまらない。自分の中で話す内容がまとまっていなかったのが原因。また、身の丈に合っていないレベルの高すぎる企業にばかりに挑戦し過ぎた。

メリルリンチ証券(バンクオブアメリカ)の人事の方から有難い忠告を受けた。

人事:「あなたの強みは何ですか?」

自分:「自分の中に確固たる信念(芯)があることです。今まで、自分の信じる道は自ら考え進んできました。例えば...。」

人事:「それは信念ではなくて、もっと他の言葉で言い表せると思うよ。それに、君の言うように好奇心をもって挑戦してきた人はこの会場にたくさんいる。人事として上に報告するときに、『この学生は○○なところや○○なところがあり、他の留学生と比べても採用する価値は大いにあります。』といったように僕にもその学生を採用する責任が伴ってくる。だから今後の就職活動では、より自分の言葉を固めて挑んだ方が君の為になると思うよ。」

この、採用者側の立場は考えていたつもりでいたけど、実際深く考えられていなかった。

2011年11月3日木曜日

中華系クラブでの問題

今学期からエグゼクティブ(執行役員)として会計をしている異文化クラブ:Society for Sino-American Studies(SSAS, 中国語名:中美学会)で今日の10pmに緊急招集(ミーティング)があった。クラブ存亡の危機となる問題が出てきたとのことだった。

SSASを簡潔に説明すると、大部分は中国人、アメリカ人、それに加え他のアジア人で構成され、週に一度ディスカッションをする。イベント(Chinese New Year, Moon Festival, Asian Festivalなど)も定期的に行い、大学からは異文化クラブとしては最も活動的で、大学の多様性を促進するクラブとして認められている。

今回問題となったのが、中国人学生、それもクラブの投票で落選した学生らが今のクラブを抜けて新たに中国人クラブを作るということだ。その彼らが新たなクラブを発足させる為に新入生を囲い込んで、一揆のような状態になっている。

今年から数が増えた、大学入学前の大学付属の語学学校の中国人学生は、ディスカッションでの英語がわからない為に1、2回参加したきりで来ていない。

その具体的な原因として挙がったのがこの2点:

  1. 言語の問題(クラブでは英語が必須)
  2. 現エグゼクティブの新入生に対するアプローチ(welcome)が彼らを引き付けられるほど足りていない

顧問の先生は2つのクラブを別物として存在させたくはないらしい。そしてこの問題に対する解決策としては、SSASで2つのブランチ(英語を話すブランチ=もともとのクラブ、中国語を話すブランチ=新たな中国人クラブ)を作って一つのクラブとして機能させる。とりあえずはこれで話がまとまったが、はたして上手くいくのかは疑問。

良い点としては:
1.メンバーはどちらのミーティングにも参加できる。
2.英語に自信のない中国人学生は、気が向けば英語上達の一環として前者のブランチにも参加する?

悪い点としては:
1.相互のブランチの意思疎通が難しくなってしまう。
2.新たに立ち上げようとしている中国人学生はただ単に肩書きがほしいだけで新入生を利用しているのではないか。(履歴書に書く為に)
3.立ち上げたはいいが、それを継続して続けていけるのか。

最初はこのブランチ案に反対の立場だったが、ある人の意見を聞いて考えが変わった。北部アメリカがアメリカという国を代表していたのに対し、南部も、北部アメリカとは別の国として立ち上げられてもいいのではなかったのかという。例えばある地域(香港や台湾など)は独立国として主張する権利を持っている。なので、大学では学生は自由にクラブ(Student Organization)を立ち上げる権利があるのだから彼らにクラブを立ち上げる機会があってもいいのではないかとも思った。まだどうなるかは分からないが、今は結果(彼らの出方)を待つしかない。

2011年6月8日水曜日

H.E.A.L. Japan ファンドレイジング 一段落




H.E.A.L Japanの活動結果について。

震災ファンドレイジングの活動は3月14日に始まり5月6日には無事一段落着いた。日本人を中心に、周りの友人、学生、団体、教授などを巻き込みながら活動をした。

以下金額詳細

募金 $7938.67
物販 $1570.00
小計 $9508.67
(費用 $608.68)
合計 $8899.99

皆、本当に良くやったと思う。そして自分自身も様々なところで成長できた。他人との協力。会計の仕方。どのようにすれば効率的に動けるのか。どのようにすれば人は動いてくれるのか。どのようにすれば人に伝えたいこと・彼らが知りたいことを伝えることができるのか。そしてどのタイミングで人はお金を出してくれるのか。いろいろ考えさせられるものがあった。

また、自分の思っていたほど安いステッカー、特にブレスレットは売れなかった。でもなぜか単価の高いTシャツは売れた。それも1、2週間ほどは手元に届かないというのに。自分の、これは売れると思っていたものが売れないのを痛感させられたような感覚だ。ビジネスに置き換えて言うと、市場調査をせずに売り出してしまったようなものかもしれない。

今回は得たものがたくさんある。ただ、自分の時間が犠牲になってしまった部分も正直ある。先学期(春学期)の成績が今一つの結果に終わってしまった。来学期は勉学に打ち込む意識を学期中コンスタントに保たなければならない。特にUpper Level(ビジネス専攻のコア教科)のクラスをたくさん取っているから気を抜けない。

話が逸れてしまったが、全体的にH.E.A.L Japanの活動は有意義だった。失ったものも少しあるが、得たものの方が遙かにでかい。何よりも、被災地・被災者の為に何かしらの行動ができたと思う。そして今回ほど、熱い想いを持った友と1つの目標に向かって共に動けたことは今までになかった。

被災地・被災者の復興と回復、そして日本全体が、今回の災害を糧にして更なる発展を遂げることを願う。


Wrote at 2011年6月8日 am 2:50 in Shanghai

2011年3月28日月曜日

震災での活動 H.E.A.L Japan ~ Help Ease Aid Lend a hand ~




1週間の春休み中に起こった東北地方の大地震と大津波の災害、東北地方太平洋沖地震。このことを知ったのはアメリカ南東部を旅行中のモーテル。共に旅行中だった友人に母が連絡してきた。

直ぐにTVをつけて緊急特番ニュースで津波の映像を見た。住宅や工場が津波によって飲み込まれていく。衝撃だった。すぐさま九州に住んでいる母にSkype経由で電話を掛けた。実家は福岡なので離れている地元はなんともなかった。

そして、休みの間オレゴン州のポートランドに行っていた大学の先輩から、その週の日曜日に集まるようにとの召集がかかった。大学に帰った日(3月13日日曜日)に、日本人学生7人と日本語教師1人が集まり話し合う。海外にいながら何か自分たちにできることはないか。義援金の募金活動、物販、他の学生・教授への災害についての情報発信。日本の状況について調べていくうち、災害の新たな写真を目にするうちに、日に日に事の重大さをひしひしと感じるようになっていった。

そして次の日(14日月曜日)から募金活動を開始した。きちんと仕組みを作り、役割分担も行った。授業や課題が多く、コアメンバー(日本人7人、中国人1人、台湾人1人)だけでは限界があるので他の学生、団体にも積極的に助けを募った。ここ1、2週間動いた甲斐もあり、今ではたくさんの人を巻き込んでいけている。

平日朝10時から昼過ぎの2時までのDonation Table。Tシャツ、ステッカー、シリコンブレスレットの販売。月曜日に行ったInfo Night(日本の状況を発信・共有)。その他様々なイベントで広報の機会をもらい、物販の分の費用(コスト)は大学側の留学生オフィス
(International Student Affairs Office)が肩代わりしてくれることになった。

義援金は2週間で$3794.32、物販の売上は$975.00、合計で$4574.32集まった。

Donation
1st week (Mon.-Sun.) - $2,205.72
($1712.05 had sent to American Red Cross on Sat.)
2nd week (Mon.-Sun.) - $1,588.60
(Today's I-Dinner $401.11)

Sales
2nd week (Mon.-Sun.) - $975.00
(Today's I-Dinner $423.00)

Total in two weeks - $4574.32

全ての義援金と利益はAmerican Red CrossのJapan Earthquake and Pacific Tsunamiの方に送金することになった。

遠い国で起こっている悲惨な出来事に、こんなにも協力的で、募金することをいとわない
ここトゥルーマンの学生とカークスビルの住民には驚かされているというのが正直なところ。この活動は、全体を取りまとめる人、広報ポスターや物販アイテムをデザインした人、Donation Tableの為に時間を使って手伝ってくれる人々、様々な人や団体の協力があって成り立っている。

これは本当に凄いことだ。動けば周りは答えてくれる。でもこれは、やらなければ始まらなかったこと。もし日本の大学に通っていたら、これほど濃い活動はできなかったに違いないし、余裕があってもここまで主体的になって動いていないと思う。ここで一緒に動いている友人たちには、心からすごいなと思う。目的を持って留学している人たちは本当に強い。こういう人たちに囲まれてこそ、自分は日々成長すると感じる。

このH.E.A.L Japanの活動は、脳裏に一生焼きついて忘れることはないだろう。母国日本、そしてその被災者の力になりたい一心で始めた活動が、実は、自分にとっても価値のある経験になっている。学生の本業である勉学と、この活動。今学期が終わるまできちんと両立させていきたい。

日本の復興と被災者の環境改善を祈って。


Wrote at 2011/03/28 5:39

春休みの旅行 ミズーリからフロリダまで




1週間のSpring Break(3月5~13日)中に友人と車で旅行した。

旅路は
Kirksville,MO → St.Louis,MO → Memphis,TN → Birmingham,Al → Knoxville,TN → Atlanta,GE → Daytona Beach,FL → Jacksonville,FL → St.Louis,MO → Kirksville,MO

走行距離は
(往路)1,612 miles = 2,594km
(復路)1,199 miles = 1,923km
(往復)2,811 miles = 4,517km

行って来た場所は

Memphis

  1. Sun Studio(エルビス・プレスリー所縁のスタジオ)
  2. National Civil Rights Museum (市民戦争歴史博物館)
  3. Beale Street(バー通り)

Birmingham

  1. Birmingham Botanical Garden(庭園)
  2. Vulcan Park(銅像+展望台)
  3. アウトレットモール

Knoxville

  1. University of Tennessee(テネシー州立大学)
  2. the Lost Sea(地下洞窟+地底湖)

Atlanta

  1. CNN(CNN Newsの本部)
  2. Coca-Cola Museum(コカコーラ博物館)
  3. プレミアム・アウトレットモール

Daytona Beach

  1. ビーチ
  2. Rider's Festival


この1週間で、アメリカの一部分を自分の目で見て肌で感じることができた。市民戦争歴史博物館では、アメリカ人(黒人)の歴史を垣間見た。バーミンガム庭園では、欧米の庭園とは一味違う日本庭園の美があった。地下洞窟、地底湖のあるロスト・シーでは、地上にはない神秘的な世界を見た。コカコーラ博物館では、世界中のコカコーラ製品64種を試飲した。バイカーの(ハーレーダビットソンのような大きなバイクに乗っている)人たちが集う盛大な祭りの雰囲気も楽しんだ。

運転面では免許を取ってほんの数日だったが、このおかげで運転はだいぶ板に付いてきた。国際免許証を取れば、これで日本でも運転できるようになる。

出発当初から車のトランクに荷物がパンパンだった状況で、道中、アウトレットモールで買い物をしてさらに増えた荷物。夕飯にはエチオピア料理やギリシャ料理も食べた。

車の中で交わした会話は有意義なものだった。日本人同士での会話でも半分日本語、半分英語のこの少し変な状況。他愛のない話から始まり、武士道、戦争、日本政治、これからの人生について。一緒に旅をしていく上で、相手の性格、自分の性格をよく観察し、知ることができたことも大きな収穫のうちの1つ。

今回の旅行は今までとは違った新たなものになった。


wrote at 2011/3/28 2:45

2011年2月14日月曜日

渡米後、大きく変わった考え方

アメリカに来て変わった考え方


  1. 家族に対しての感謝と有難み
  2. 外から見た日本に対しての理解とさらなる日本への興味
  3. 学ぶことの面白さと大変さ


家族への感情の変化は日本から(又は親元から)離れると経験することだと思う。高校時代の時、全てを当たり前のように感じて過ごしていた毎日。朝食、夕飯は用意され、洗濯物はきれいに畳まれていた。今思えば恵まれた環境。当時はお父さん、お母さん、姉ちゃん、家族のそれぞれと口喧嘩をすることが良くあった。自分の考えが分かってもらえない、相手の考えが分からないとすぐに向き合うことをやめていた。

毎日仕事を朝から晩まで頑張っていたお父さん。あまり自分の考えを話してくれなかった。お父さんとは、男同士、いつか腹を割って人生について語り合いたいと思う。

家事を全て1人でこなしてくれていたお母さん。お母さんの方がいろいろと大変な時でも、大阪にいた時、そしてアメリカにいる今も、いつも体のことを心配してくれる。お母さんには今後、無理はしてほしくないと思う。

喧嘩ばかりしていた姉ちゃん。今は少し尊敬できるとこがあるし、離れてからはお互いに優しくなれたと思う。

実家にいた時は家族の悪いとこしか見えていなかった。家族それぞれに良いところがある。そう考えると1人1人が人生の師匠のようにも思えるてくるのかもしれない。実家を離れてから家族の大切さを日々噛み締めている今。

今年の夏に帰る頃には、家族への感謝をできる限り表現できればと思う。それがなかなか難しいんだが。


少ししんみりしてしまったが、2つ目の日本について。

アメリカに来る前までは日本のことがあまり好きではなかった。年功序列、終身雇用、新卒採用の文化がある、実力主義とは言えない世の中などなど。日本国内に留まることで安住している政治家の勢いの無さ。出る杭は打たれ、正直者が馬鹿を見る社会。

絶対に海外で仕事をして、その内海外へ移住しよう、と心の中で思っていた。しかし、こうやって日本を離れたことで、日本には悪いことばかりではないということに気付き始めた。

年功序列型の文化の裏にある、和の精神と敬意の心。他人(今の政治家)に頼ることで自分では何もする気のなかった自身の無責任さ。それでも正直に生きて、頑張って生きている日本人がたくさんいるということ。日本独自の、健康的で地域ごとに異なる多様な食文化も素晴らしい一面だと思う。歴史を学ぶことの大切さ、面白さ。先人が築いてきてくれた、戦後の復興とものづくり産業。他にも言い切れないほどすばらしいものを持っている日本。今低迷している日本社会・日本経済を元気づけるためにも将来働いていきたいと思えるようになった。

国際的な立場で、日本と他国(例えば途上国)の橋渡し役を担えるような仕事が良い。例えば、バングラデシュで人々の自立を支援するマザーハウス代表取締役の山口絵理子さん。22歳で日本を飛び出し、自分の足で1から事業を立ち上げた。ただモノを与える一方通行の支援ではなく、現地の特産品ジュート(麻)で鞄を作り、日本で、日本の物価に見合った価格で売る。相互に(日本にもバングラデシュにも)利益のある仕組みを作り出し、ビジネスとして持続できる仕組みを作っている。こういったビジネスは現地にプラスのものをもたらし、国家間の友好関係が、国際社会での日本の力にもなる。そう考えると、今こうやってアメリカで挑戦していることは決して無駄ではないのだろう。


そして3つ目の「学ぶ」ということについて。

周りの環境もあり、最近学ぶ姿勢が本気になれてきた。今学期は学期の始まる前に、本気で頑張ろうと決意した学期でもある。最初の学期は留学生だからといって分からないことに対して甘えを持っていた。教科書をあまり読まずに理解することを怠っていた。学ぶことに対しての面白さは、すでに日本での2校目の大学で、ジャーナリストでもある尊敬する教授から教わっていたのだが、今学期に入ってさらに、新たなことを知ることに対しての考え方が自分の中で発展したように思える。

今学期履修している微分積分学/Calculus、統計学/Statistics、中級マクロ経済学/Intermediate Macroeconomicsにはそれぞれに関連する内容があったり、前の学期に受けた財務会計学/Financial Accountingと管理会計学/Managerial Accountingには共通する内容が多い。

こういった、学んでいることがお互いに関わり合っていたり、現実と直結している箇所を垣間見ることができると、やることが多すぎて普段は辛い教科も、その時は面白いなって思えてくる。

日本では本気になれなかった学ぶということ。学ぶことに関しては非常に良い環境の今の大学。日本にいたら楽に暮らせるだろうなーと思うこともあるが、今の留学ができていることに感謝している。

  • 家族を大切に想うことのできる環境
  • 日本人として日本の将来を考えることのできる環境
  • そして自分自身に真摯に向き合い、今、最大限に成長できている環境


英語を、国際的なビジネスの場で不自由なく使いこなせるようになることは目標の1つでもあるが、それよりも、授業で得る専門知識と共に、自身の人格を高めていくことが、今の目標。

渡米後、1年経たない内に、こうやって意識が変わっているのが自分でもわかる。2年後、卒業する頃にはどれほど成長できているのかを想像すると、将来が楽しみでならない。
自分の手に負えないことをやる。
これは漫画家であり芸術家でもある井上雄彦氏が大切にする考え方。そして今ある自分の境遇を精一杯やり抜こうと決意させてくれる言葉。

いつかこの文章を読み返す頃にはさらに、人として恥ずかしくないような人物になっていることを願う。


2011年2月14日午前4時

2011年2月3日木曜日

雪で休校







猛烈に雪が降った。一晩でここまで積もったのを見たのは初めて。1枚目が先日軽く雪が降ったとき。2枚目が昨日の午後。3枚目が今日の朝。テーブルベンチが氷山の一角に。笑

こんな感じで大学の授業は丸二日休校だった。


2011年2月2日19時

2011年1月29日土曜日

トゥルーマンへの日本人入学希望者へサポート開始

最近は、トゥルーマン州立大学への入学を希望する日本人学生へのサポートを授業に支障が出ない範囲で行っていこうと思っている。留学を目指している日本人学生の役に立ちたいと思いボランティアでサポートを開始。

今まででやったことといえば、高校(母校)に資料送付、高校の頃お世話になった個人経営の塾長に資料送付、ぐらい。

今後はブログなどで問い合わせがあれば順次対応していきたい。



2011年1月29日19時

2011年1月23日日曜日

授業とクラブと音楽と

最近は授業で忙しい毎日を送っている。

今学期の授業はやりがいがある。ここで学ぶ微積分学/Calculusはまた一味違う。経済に直結した金利やGDP成長率なども扱ったりする。グラフを使う統計学/Statisticsも興味深い。微積分学と統計学を駆使するマクロ経済学(Intermediate Macroeconomics)は難しいがとても実践的。

また、Public Speakingのクラスでもたくさん学ぶことがありそう。ただ、管理会計学/Managerial Accountingのクラスでは教授の教え方が理解できないので、今後どうなるかは様子を見るしかない。

授業の他には、先学期から文科系クラブに所属している。

SSAS(Society for Sino-American Studies)
いわゆるアジア系(主に中国人)学生の異文化クラブ。毎回、社会で起こっているトピックを1つ、議論するといった形式で行われる。

また、今日は息抜きに、1人部屋にこもって2時間半、英語の歌を歌った。こうして娯楽も兼ねて洋楽を歌う度に自分の英語力(理解での面と発音での面)の進歩に気づく。

2011年1月22日9:19PM

2011年1月1日土曜日

2011年に

年が明け、早速で今年の抱負を。

  1. 留学の核となるであろうこの1年、後悔はないように行動
  2. 英語だけでなく、専攻のビジネスの授業でこれから学んでいくことを自分のものにする
  3. 中国語を習得(友人らと簡単な会話ができる程度)
  4. 就職活動(東京とボストンのキャリアフォーラムに向けて)
  5. やりたいこと(ビジネス、旅など)、何か新たな行動をしてみる

達成を図れるようなKPIはないけれど、これらを達成できるような1年にしたい。

2011年1月1日午前2時投稿

2010年12月22日水曜日

秋学期(最初の学期)を終えて

先週の金曜日にようやく最初の学期が終わった。

知らない土地では当然のごとく慣れない知らないことだらけで、授業についていくのがやっとの半年間だった。

留学してからは英語の環境に慣れることがまず一番に必要なことで、これには徐々に慣れてきた。日常会話はあんまり深く考えることなく徐々にしゃべれるようにもなってきた。

授業は履修できる17単位maxで取って、平均GPAは3.29になった。計算方法は点数100~90でA=4、89~80でB=3、79~70でC=2、69~60でD=1、59以下でF=0。おそらく可もなく不可もなくといったところだろう。

この学期、慣れない環境で頑張ったけど、死ぬ気でやればもう少し頑張れた気もする。振り返ってみると、自分が留学生だから、他の学生とは語学においてハンデがあるからというのを理由にしてきた部分が正直ある。これに気づけたのは今日、数少ない日本人の先輩と深い話ができたおかげだ。この先輩は、自分が通っているトゥルーマン州立大学と同じカークス村(Kirksville)にある医大(A. T. Still University)に通っている、けいさん。

アメリカ人でも医大を生き抜いていくには(良い成績を維持していくためには)、相当な勉強という努力が必要で、外国語の英語で医学を学ぶ、これがどれほど難しいことなのか、それを本人に尋ねてみた。
ただ勉強量が半端なく多いだけで、特に英語は問題じゃない。
今年が6年目のアメリカ大学生活だといっても、帰国子女でもない人がそれを口にできるってことは、自分の進みたい道で本当に努力を続けてきたという証拠なんだと思う。本当にに強く心を打たれた。自分が好きなことなら、頑張ろうと思えば外国語で学ぶという困難をも乗り越えられる。それを知ることができた。

次の2学期目(冬学期)で英語の壁を克服することは当然困難だろう。しかし次の目標としては「語学のハンデがあるから良い成績をとれなかった」というのはなしにして、「本当に頑張って(何か言葉では表せないかもしれないが漠然と)すごく得るものがあった」と最低限思えるような2学期目にしたい。

今後は、勉強をするときには本当に集中して勉強する。オフの時間もきちんと確保してリラックスする。そういうメリハリをつけて頑張っていこうと思う。今日は、これらの目標を定めるきっかけとなった実りある1日だった。

2010年12月7日火曜日

最初の学期の期末(Final)試験期間



久々の投稿。

今日は期末テスト(Final week)の前の週の月曜で、テストと課題に追われている。こんな時に限って、こうプログを書きたくなるものなのか。

昨日は課題がなかなか終わらず、今日の会計のテスト勉強ができず、タイムマネジメントができていない。このままだと最終成績がCになってしまう。

今学期のとっている授業は以下の通り。

  • Financial Accounting
    • 3単位
    • Business / 専門分野
  • English Academic Writing
    • 3単位
    • Liberal Arts / 教養
  • Microeconomics
    • 3単位
    • Business / 専門分野
  • World Musics
    • 3単位
    • Liberal Arts / 教養
  • College Algebra
    • 3単位
    • Online
    • Liberal Arts / 教養
  • Trigonometric Function
    • 2単位
    • Online
    • Liberal Arts / 教養
次にブログ投稿するのはテストが終わってから。

写真1枚目は、ウズベキスタン人の友人と。
写真2枚目は、サンクスギビング(感謝祭)休みでのアメリカ人の友人、ガーナ人の友人と。