2011年6月29日水曜日

上海1ヶ月間




今回は学期も終わり、5月11日~6月13日の期間、中国語を勉強するために中国(主には上海)へ行っていた。

大学の先輩と(友人)中国人コミュニティの影響彼は多くいる中国からの友人と中国語で会話をしていた。そしてそのコミュニティに半分足を突っ込んでいる状態の自分だけが中国語での会話についていけてない状況。そういった集まりで毎回キョトンとして理解できないのは悔しいし、単純に彼らの言葉で話してみたいって思った。彼らと中国語で話すことができればどんなに楽しくなるだろうって考えたら自然とモチベーションは高くなる。

上海では、上海海事大学というマイナーな大学の授業に1ヶ月間途中参加という形で通った。午前中は大学での授業、午後は街に出ていろんな場所を散策、といった感じ。中国語を学ぶほか、中国、上海を見て現地を経験できたってことで得たものも大きい。
  
現地の眼鏡屋で眼鏡を作ったときにはレンズを2度も変えてもらい、そのやり取りの中で仲良くなったり、現地人や旅行者に紛れて、品物を値切ったり、案外上海でも英語があんまり通じないってのも知れた。授業前に朝食として食べるようになった肉汁たっぷりの肉まんだったり、昼飯として食べる、これも肉汁たっぷりの小龍包だったりが好物になった。

上海を発ってからは友人のいる大連だったり、フェリー発着地の青島にも行けた。そして青島から下関に帰る36時間滞在のフェリーの中でも中国人と仲良くなっり、日本人の、背中にでっかく刺青のあるお兄さんとも仲良くなったりもした。

そのフェリーの乗客の3分の2以上は中国人女性の日本への出稼ぎ労働者。就労ビザの性質上、肩書は研修生だが、実際は中国内陸部の農村から日本へ出稼ぎに行くという形だ。2組の内1組は愛知県で帽子を作る仕事、もう1組は福岡県八女市で食品製造の仕事を1年から3年掛けてするらしい。これには少し衝撃を受けた。こうやって出稼ぎに行くような若者は、留学中の中国人の友人や、上海のスタバでフラッペチーノを買うことのできる富裕層の彼らとは、全く異なる境遇なんだと思う。

Wrote at 6/29/2011 at 1:00 pm

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