2011年11月9日水曜日

信念

ボストンキャリアフォーラム(BCF)に向けてここ最近、時間があれば自己分析やエントリーシート作成に取り組んでいる。

そしてここ2,3日で、自分の強みを1つ、ようやく導き出せた。エントリーシートになんとなく書いた(ふと頭に浮かんだ)「信念」という言葉。その時はまだ半分程度しか自分の特性(強み)として享受していなかった。そして、つい30分ほど前に読んだ日経ビジネスにある本の紹介ページ(書評)があった。『逆境を生きる』という書籍。内容は大まかにしか書かれていなかったがそこに「信念」という言葉が何度となく出ていた。信念が人を作り、それが人としての魅力に繋がる。自分の信じるものを貫き続ける強さ。これを持ち続けることが今までの自分を作り、そしてこれからの自分を築きあげていくのだと思う。

猪突猛進で終わらずに、初志貫徹で初心を忘れず、人の話に耳を傾ける。内なる幹は硬く、そして外へ伸びる枝葉は軟らかくありたいと思う。

2011年11月6日日曜日

スピーチでの慣れ

ハーバード大学マイケル・サンデル教授の『これからの「正義」の話をしよう』を今更ながら読んでいる。まだ4分の1程度読み終わったところ。正義、モラル、道徳、というのは、なかなか難しい。

イメージを掴むためにiTunes Uでハーバード大学提供の講義と特別に東京大学で行われた講義を視聴してみた。講義では一つの意見に必ず反対意見が出てきて、講義の進め方が非常に興味深い。ハーバードと東大の講義を比較して、特に感じたこと。それは、学生のディスカッションへの「慣れ」に雲泥の差がある、ということ。東大生でさえも、人前での発言に慣れていない、ということに危機感を覚えた。構図としては、ハーバードの学生>北京大学の学生>東大生、という感じなのかなと個人的には思う。

自分自身、米国の大学で勉強できているからこそ、自由に発言できる場でのスピーチ力の向上と、発言することへの「慣れ」を意識して培っていきたいと思う。

2011年11月3日木曜日

中華系クラブでの問題

今学期からエグゼクティブ(執行役員)として会計をしている異文化クラブ:Society for Sino-American Studies(SSAS, 中国語名:中美学会)で今日の10pmに緊急招集(ミーティング)があった。クラブ存亡の危機となる問題が出てきたとのことだった。

SSASを簡潔に説明すると、大部分は中国人、アメリカ人、それに加え他のアジア人で構成され、週に一度ディスカッションをする。イベント(Chinese New Year, Moon Festival, Asian Festivalなど)も定期的に行い、大学からは異文化クラブとしては最も活動的で、大学の多様性を促進するクラブとして認められている。

今回問題となったのが、中国人学生、それもクラブの投票で落選した学生らが今のクラブを抜けて新たに中国人クラブを作るということだ。その彼らが新たなクラブを発足させる為に新入生を囲い込んで、一揆のような状態になっている。

今年から数が増えた、大学入学前の大学付属の語学学校の中国人学生は、ディスカッションでの英語がわからない為に1、2回参加したきりで来ていない。

その具体的な原因として挙がったのがこの2点:

  1. 言語の問題(クラブでは英語が必須)
  2. 現エグゼクティブの新入生に対するアプローチ(welcome)が彼らを引き付けられるほど足りていない

顧問の先生は2つのクラブを別物として存在させたくはないらしい。そしてこの問題に対する解決策としては、SSASで2つのブランチ(英語を話すブランチ=もともとのクラブ、中国語を話すブランチ=新たな中国人クラブ)を作って一つのクラブとして機能させる。とりあえずはこれで話がまとまったが、はたして上手くいくのかは疑問。

良い点としては:
1.メンバーはどちらのミーティングにも参加できる。
2.英語に自信のない中国人学生は、気が向けば英語上達の一環として前者のブランチにも参加する?

悪い点としては:
1.相互のブランチの意思疎通が難しくなってしまう。
2.新たに立ち上げようとしている中国人学生はただ単に肩書きがほしいだけで新入生を利用しているのではないか。(履歴書に書く為に)
3.立ち上げたはいいが、それを継続して続けていけるのか。

最初はこのブランチ案に反対の立場だったが、ある人の意見を聞いて考えが変わった。北部アメリカがアメリカという国を代表していたのに対し、南部も、北部アメリカとは別の国として立ち上げられてもいいのではなかったのかという。例えばある地域(香港や台湾など)は独立国として主張する権利を持っている。なので、大学では学生は自由にクラブ(Student Organization)を立ち上げる権利があるのだから彼らにクラブを立ち上げる機会があってもいいのではないかとも思った。まだどうなるかは分からないが、今は結果(彼らの出方)を待つしかない。

2011年10月28日金曜日

投資銀行電話面接

初めて、某外資系投資銀行の電話面接を受けた。結果は惨敗。全くの準備不足だった。昨日の昼に電話面接のオファーがあり、次の日の今日、受けることになった。

面接の内容は2つ。

  • 自己紹介(自己PR)をしてください。(日本語と英語で)
  • 志望動機は何ですか。
最後に質問の機会が与えられたので2つ聞いてみた。

  • 投資銀行での業務内容(面接官の経験も含めて)
  • 1日のスケジュール

一応自己PRと志望動機は準備してたけど、言いたいことがまとまってなかった。次回に活かそう。

Wrote at 2011/10/28 10am

2011年7月16日土曜日

ヒッチハイク 東京ー香川




2011年7月11日11:45am、短期滞在先の新宿区築地町を出発し、旅は始まった。

まずは地下鉄で用賀駅まで行き近くにある高速道路入口手前で、通り過ぎる車に向って「西へ」と書いたホワイトボードを掲げる。これは少し抽象的過ぎたのかなかなか止まってもらえない。まずは高速に乗ることを目標に「サービスエリアまで」と書き直す。恥ずかしさとワクワク感を胸に秘めながらマクドの前で待つこと30分、ようやく1台、紺色の車が止まってくれた。西へ行っていることと、とりあえずサービスエリアまで行きたいことを伝えると、乗って良いとの事。

60代ぐらいのおじさん。若い頃このおじさんもヒッチハイクをやっていたらしく、
その関係で自分を乗せてくれたとのことだった。最近までコンサルタントをやっていたらしく今は定年して、この日は別荘に向っているらしい。日本経済や金融、政治や、息子のことを話してくれた。富士山の高さが3776mだということもこの機会に暗記できた。そして何といっても、乗っていた車がすごかった。クラウンのハイブリットカー。ガソリンと電気の両方を使って走るのはもちろん、車間距離を感知し、オートで走行する。ハンドルも握らない、アクセルも踏まないで設定していた通りに自動で走る。そして、スピードを出しすぎてブレーキを踏んだ時にはその力(エネルギー)が電気へと変換(発電)される。自動運転とまではいかないが、ここまでテクノロジーが発達しているとは思わなかった。そうこうしている内に、神奈川県の足柄サービスエリアに着いた。ここで降ろしてもらい、お礼を言うと、クラクションを軽く鳴らし去っていった。

これが今回はじめてのヒッチハイクでの1台目の車になった。

そもそも、どうしてヒッチハイクを始めたのかというと、サマーインターンシップの選考会で会った人がヒッチハイクをしたことがあって、案外簡単に短期間で遠くまで行けると言う話を聞いてからだ。ヒッチハイク旅とカブ(原付)での日本横断が大学1年生の頃からの念願の夢であったのもあり、せっかくだから今回日本に居る時間のあるときにヒッチハイクだけでも挑戦してみようと決意した。

まずは金曜日に100円ショップでホワイトボードとマーカーを買った。そして土日に出発しようと思っていたが結局出られず、月曜日に出発することになった。

以下、ヒッチハイク終わりまでに今回通ったルート

  • 1日目:東京都世田谷区用賀→神奈川県足柄SA(サービスエリア)→愛知県豊田市上郷SA→(名古屋市)名古屋IC(インターチェンジ)を降りたところ→名古屋市栄(街の中心街)→地下鉄で名古屋市内散策
  • 2日目:名古屋城見学後→名古屋駅周辺高速入口→三重県桑名市大山田PA(パーキングエリア)→亀山市亀山PA→大阪府香芝市香芝SA→大阪市平野区平野→地下鉄で中央区難波→JRで兵庫県神戸市神戸駅
  • 3日目:兵庫駅近くの高速入口→兵庫県たつの市龍野西SA→岡山県岡山市吉備SA→香川県坂出市、おか泉(せん)で讃岐うどんを食べる→高松市→した道のどこか道の駅→10kmぐらい歩いてマクド到着→高速道路従業員出入口から、さぬき市津田の松原SAに入る→
  • 4日目:徳島県鳴門市鳴門西PA→兵庫県淡路市淡路SA→滋賀県草津市草津PA→三重県四日市市御在所SA→愛知県一宮市尾張一宮PA→神奈川県海老名市海老名SA→東京都江東区木場→始発の地下鉄で新宿区神楽坂駅→帰路に着く

2011年7月7日木曜日

東京滞在 1-2週間目

大都会東京。

いろんな場所がある。いろんな人がいる。

今現在の滞在場所は新宿神楽坂にあるゲストハウス。安い滞在費の割に、生活必需品はそろっていて居心地は悪くない。

この夏は、ニューヨークタイムズの新聞記者(大学教授)の下でのインタビュー同行インターンをさせてもらえることになっている。また、いくつか企業の短期インターンも考えている。

Wrote at 7/7/2011 2:00am

2011年6月29日水曜日

上海1ヶ月間




今回は学期も終わり、5月11日~6月13日の期間、中国語を勉強するために中国(主には上海)へ行っていた。

大学の先輩と(友人)中国人コミュニティの影響彼は多くいる中国からの友人と中国語で会話をしていた。そしてそのコミュニティに半分足を突っ込んでいる状態の自分だけが中国語での会話についていけてない状況。そういった集まりで毎回キョトンとして理解できないのは悔しいし、単純に彼らの言葉で話してみたいって思った。彼らと中国語で話すことができればどんなに楽しくなるだろうって考えたら自然とモチベーションは高くなる。

上海では、上海海事大学というマイナーな大学の授業に1ヶ月間途中参加という形で通った。午前中は大学での授業、午後は街に出ていろんな場所を散策、といった感じ。中国語を学ぶほか、中国、上海を見て現地を経験できたってことで得たものも大きい。
  
現地の眼鏡屋で眼鏡を作ったときにはレンズを2度も変えてもらい、そのやり取りの中で仲良くなったり、現地人や旅行者に紛れて、品物を値切ったり、案外上海でも英語があんまり通じないってのも知れた。授業前に朝食として食べるようになった肉汁たっぷりの肉まんだったり、昼飯として食べる、これも肉汁たっぷりの小龍包だったりが好物になった。

上海を発ってからは友人のいる大連だったり、フェリー発着地の青島にも行けた。そして青島から下関に帰る36時間滞在のフェリーの中でも中国人と仲良くなっり、日本人の、背中にでっかく刺青のあるお兄さんとも仲良くなったりもした。

そのフェリーの乗客の3分の2以上は中国人女性の日本への出稼ぎ労働者。就労ビザの性質上、肩書は研修生だが、実際は中国内陸部の農村から日本へ出稼ぎに行くという形だ。2組の内1組は愛知県で帽子を作る仕事、もう1組は福岡県八女市で食品製造の仕事を1年から3年掛けてするらしい。これには少し衝撃を受けた。こうやって出稼ぎに行くような若者は、留学中の中国人の友人や、上海のスタバでフラッペチーノを買うことのできる富裕層の彼らとは、全く異なる境遇なんだと思う。

Wrote at 6/29/2011 at 1:00 pm

2011年6月8日水曜日

H.E.A.L. Japan ファンドレイジング 一段落




H.E.A.L Japanの活動結果について。

震災ファンドレイジングの活動は3月14日に始まり5月6日には無事一段落着いた。日本人を中心に、周りの友人、学生、団体、教授などを巻き込みながら活動をした。

以下金額詳細

募金 $7938.67
物販 $1570.00
小計 $9508.67
(費用 $608.68)
合計 $8899.99

皆、本当に良くやったと思う。そして自分自身も様々なところで成長できた。他人との協力。会計の仕方。どのようにすれば効率的に動けるのか。どのようにすれば人は動いてくれるのか。どのようにすれば人に伝えたいこと・彼らが知りたいことを伝えることができるのか。そしてどのタイミングで人はお金を出してくれるのか。いろいろ考えさせられるものがあった。

また、自分の思っていたほど安いステッカー、特にブレスレットは売れなかった。でもなぜか単価の高いTシャツは売れた。それも1、2週間ほどは手元に届かないというのに。自分の、これは売れると思っていたものが売れないのを痛感させられたような感覚だ。ビジネスに置き換えて言うと、市場調査をせずに売り出してしまったようなものかもしれない。

今回は得たものがたくさんある。ただ、自分の時間が犠牲になってしまった部分も正直ある。先学期(春学期)の成績が今一つの結果に終わってしまった。来学期は勉学に打ち込む意識を学期中コンスタントに保たなければならない。特にUpper Level(ビジネス専攻のコア教科)のクラスをたくさん取っているから気を抜けない。

話が逸れてしまったが、全体的にH.E.A.L Japanの活動は有意義だった。失ったものも少しあるが、得たものの方が遙かにでかい。何よりも、被災地・被災者の為に何かしらの行動ができたと思う。そして今回ほど、熱い想いを持った友と1つの目標に向かって共に動けたことは今までになかった。

被災地・被災者の復興と回復、そして日本全体が、今回の災害を糧にして更なる発展を遂げることを願う。


Wrote at 2011年6月8日 am 2:50 in Shanghai

2011年3月28日月曜日

震災での活動 H.E.A.L Japan ~ Help Ease Aid Lend a hand ~




1週間の春休み中に起こった東北地方の大地震と大津波の災害、東北地方太平洋沖地震。このことを知ったのはアメリカ南東部を旅行中のモーテル。共に旅行中だった友人に母が連絡してきた。

直ぐにTVをつけて緊急特番ニュースで津波の映像を見た。住宅や工場が津波によって飲み込まれていく。衝撃だった。すぐさま九州に住んでいる母にSkype経由で電話を掛けた。実家は福岡なので離れている地元はなんともなかった。

そして、休みの間オレゴン州のポートランドに行っていた大学の先輩から、その週の日曜日に集まるようにとの召集がかかった。大学に帰った日(3月13日日曜日)に、日本人学生7人と日本語教師1人が集まり話し合う。海外にいながら何か自分たちにできることはないか。義援金の募金活動、物販、他の学生・教授への災害についての情報発信。日本の状況について調べていくうち、災害の新たな写真を目にするうちに、日に日に事の重大さをひしひしと感じるようになっていった。

そして次の日(14日月曜日)から募金活動を開始した。きちんと仕組みを作り、役割分担も行った。授業や課題が多く、コアメンバー(日本人7人、中国人1人、台湾人1人)だけでは限界があるので他の学生、団体にも積極的に助けを募った。ここ1、2週間動いた甲斐もあり、今ではたくさんの人を巻き込んでいけている。

平日朝10時から昼過ぎの2時までのDonation Table。Tシャツ、ステッカー、シリコンブレスレットの販売。月曜日に行ったInfo Night(日本の状況を発信・共有)。その他様々なイベントで広報の機会をもらい、物販の分の費用(コスト)は大学側の留学生オフィス
(International Student Affairs Office)が肩代わりしてくれることになった。

義援金は2週間で$3794.32、物販の売上は$975.00、合計で$4574.32集まった。

Donation
1st week (Mon.-Sun.) - $2,205.72
($1712.05 had sent to American Red Cross on Sat.)
2nd week (Mon.-Sun.) - $1,588.60
(Today's I-Dinner $401.11)

Sales
2nd week (Mon.-Sun.) - $975.00
(Today's I-Dinner $423.00)

Total in two weeks - $4574.32

全ての義援金と利益はAmerican Red CrossのJapan Earthquake and Pacific Tsunamiの方に送金することになった。

遠い国で起こっている悲惨な出来事に、こんなにも協力的で、募金することをいとわない
ここトゥルーマンの学生とカークスビルの住民には驚かされているというのが正直なところ。この活動は、全体を取りまとめる人、広報ポスターや物販アイテムをデザインした人、Donation Tableの為に時間を使って手伝ってくれる人々、様々な人や団体の協力があって成り立っている。

これは本当に凄いことだ。動けば周りは答えてくれる。でもこれは、やらなければ始まらなかったこと。もし日本の大学に通っていたら、これほど濃い活動はできなかったに違いないし、余裕があってもここまで主体的になって動いていないと思う。ここで一緒に動いている友人たちには、心からすごいなと思う。目的を持って留学している人たちは本当に強い。こういう人たちに囲まれてこそ、自分は日々成長すると感じる。

このH.E.A.L Japanの活動は、脳裏に一生焼きついて忘れることはないだろう。母国日本、そしてその被災者の力になりたい一心で始めた活動が、実は、自分にとっても価値のある経験になっている。学生の本業である勉学と、この活動。今学期が終わるまできちんと両立させていきたい。

日本の復興と被災者の環境改善を祈って。


Wrote at 2011/03/28 5:39

春休みの旅行 ミズーリからフロリダまで




1週間のSpring Break(3月5~13日)中に友人と車で旅行した。

旅路は
Kirksville,MO → St.Louis,MO → Memphis,TN → Birmingham,Al → Knoxville,TN → Atlanta,GE → Daytona Beach,FL → Jacksonville,FL → St.Louis,MO → Kirksville,MO

走行距離は
(往路)1,612 miles = 2,594km
(復路)1,199 miles = 1,923km
(往復)2,811 miles = 4,517km

行って来た場所は

Memphis

  1. Sun Studio(エルビス・プレスリー所縁のスタジオ)
  2. National Civil Rights Museum (市民戦争歴史博物館)
  3. Beale Street(バー通り)

Birmingham

  1. Birmingham Botanical Garden(庭園)
  2. Vulcan Park(銅像+展望台)
  3. アウトレットモール

Knoxville

  1. University of Tennessee(テネシー州立大学)
  2. the Lost Sea(地下洞窟+地底湖)

Atlanta

  1. CNN(CNN Newsの本部)
  2. Coca-Cola Museum(コカコーラ博物館)
  3. プレミアム・アウトレットモール

Daytona Beach

  1. ビーチ
  2. Rider's Festival


この1週間で、アメリカの一部分を自分の目で見て肌で感じることができた。市民戦争歴史博物館では、アメリカ人(黒人)の歴史を垣間見た。バーミンガム庭園では、欧米の庭園とは一味違う日本庭園の美があった。地下洞窟、地底湖のあるロスト・シーでは、地上にはない神秘的な世界を見た。コカコーラ博物館では、世界中のコカコーラ製品64種を試飲した。バイカーの(ハーレーダビットソンのような大きなバイクに乗っている)人たちが集う盛大な祭りの雰囲気も楽しんだ。

運転面では免許を取ってほんの数日だったが、このおかげで運転はだいぶ板に付いてきた。国際免許証を取れば、これで日本でも運転できるようになる。

出発当初から車のトランクに荷物がパンパンだった状況で、道中、アウトレットモールで買い物をしてさらに増えた荷物。夕飯にはエチオピア料理やギリシャ料理も食べた。

車の中で交わした会話は有意義なものだった。日本人同士での会話でも半分日本語、半分英語のこの少し変な状況。他愛のない話から始まり、武士道、戦争、日本政治、これからの人生について。一緒に旅をしていく上で、相手の性格、自分の性格をよく観察し、知ることができたことも大きな収穫のうちの1つ。

今回の旅行は今までとは違った新たなものになった。


wrote at 2011/3/28 2:45

2011年2月25日金曜日

The Future Of Work

友人経由で面白いものを見つけた。


"The Future Of Work"というもので、2年前に作られたものらしい。


Check out this SlideShare Presentation:


なるほど。

経済だけに関わらず、数年後の世界はどんな環境になっているのだろうと思いが頭の中を巡る。


2011年2月25日12:10AM

2011年2月14日月曜日

渡米後、大きく変わった考え方

アメリカに来て変わった考え方


  1. 家族に対しての感謝と有難み
  2. 外から見た日本に対しての理解とさらなる日本への興味
  3. 学ぶことの面白さと大変さ


家族への感情の変化は日本から(又は親元から)離れると経験することだと思う。高校時代の時、全てを当たり前のように感じて過ごしていた毎日。朝食、夕飯は用意され、洗濯物はきれいに畳まれていた。今思えば恵まれた環境。当時はお父さん、お母さん、姉ちゃん、家族のそれぞれと口喧嘩をすることが良くあった。自分の考えが分かってもらえない、相手の考えが分からないとすぐに向き合うことをやめていた。

毎日仕事を朝から晩まで頑張っていたお父さん。あまり自分の考えを話してくれなかった。お父さんとは、男同士、いつか腹を割って人生について語り合いたいと思う。

家事を全て1人でこなしてくれていたお母さん。お母さんの方がいろいろと大変な時でも、大阪にいた時、そしてアメリカにいる今も、いつも体のことを心配してくれる。お母さんには今後、無理はしてほしくないと思う。

喧嘩ばかりしていた姉ちゃん。今は少し尊敬できるとこがあるし、離れてからはお互いに優しくなれたと思う。

実家にいた時は家族の悪いとこしか見えていなかった。家族それぞれに良いところがある。そう考えると1人1人が人生の師匠のようにも思えるてくるのかもしれない。実家を離れてから家族の大切さを日々噛み締めている今。

今年の夏に帰る頃には、家族への感謝をできる限り表現できればと思う。それがなかなか難しいんだが。


少ししんみりしてしまったが、2つ目の日本について。

アメリカに来る前までは日本のことがあまり好きではなかった。年功序列、終身雇用、新卒採用の文化がある、実力主義とは言えない世の中などなど。日本国内に留まることで安住している政治家の勢いの無さ。出る杭は打たれ、正直者が馬鹿を見る社会。

絶対に海外で仕事をして、その内海外へ移住しよう、と心の中で思っていた。しかし、こうやって日本を離れたことで、日本には悪いことばかりではないということに気付き始めた。

年功序列型の文化の裏にある、和の精神と敬意の心。他人(今の政治家)に頼ることで自分では何もする気のなかった自身の無責任さ。それでも正直に生きて、頑張って生きている日本人がたくさんいるということ。日本独自の、健康的で地域ごとに異なる多様な食文化も素晴らしい一面だと思う。歴史を学ぶことの大切さ、面白さ。先人が築いてきてくれた、戦後の復興とものづくり産業。他にも言い切れないほどすばらしいものを持っている日本。今低迷している日本社会・日本経済を元気づけるためにも将来働いていきたいと思えるようになった。

国際的な立場で、日本と他国(例えば途上国)の橋渡し役を担えるような仕事が良い。例えば、バングラデシュで人々の自立を支援するマザーハウス代表取締役の山口絵理子さん。22歳で日本を飛び出し、自分の足で1から事業を立ち上げた。ただモノを与える一方通行の支援ではなく、現地の特産品ジュート(麻)で鞄を作り、日本で、日本の物価に見合った価格で売る。相互に(日本にもバングラデシュにも)利益のある仕組みを作り出し、ビジネスとして持続できる仕組みを作っている。こういったビジネスは現地にプラスのものをもたらし、国家間の友好関係が、国際社会での日本の力にもなる。そう考えると、今こうやってアメリカで挑戦していることは決して無駄ではないのだろう。


そして3つ目の「学ぶ」ということについて。

周りの環境もあり、最近学ぶ姿勢が本気になれてきた。今学期は学期の始まる前に、本気で頑張ろうと決意した学期でもある。最初の学期は留学生だからといって分からないことに対して甘えを持っていた。教科書をあまり読まずに理解することを怠っていた。学ぶことに対しての面白さは、すでに日本での2校目の大学で、ジャーナリストでもある尊敬する教授から教わっていたのだが、今学期に入ってさらに、新たなことを知ることに対しての考え方が自分の中で発展したように思える。

今学期履修している微分積分学/Calculus、統計学/Statistics、中級マクロ経済学/Intermediate Macroeconomicsにはそれぞれに関連する内容があったり、前の学期に受けた財務会計学/Financial Accountingと管理会計学/Managerial Accountingには共通する内容が多い。

こういった、学んでいることがお互いに関わり合っていたり、現実と直結している箇所を垣間見ることができると、やることが多すぎて普段は辛い教科も、その時は面白いなって思えてくる。

日本では本気になれなかった学ぶということ。学ぶことに関しては非常に良い環境の今の大学。日本にいたら楽に暮らせるだろうなーと思うこともあるが、今の留学ができていることに感謝している。

  • 家族を大切に想うことのできる環境
  • 日本人として日本の将来を考えることのできる環境
  • そして自分自身に真摯に向き合い、今、最大限に成長できている環境


英語を、国際的なビジネスの場で不自由なく使いこなせるようになることは目標の1つでもあるが、それよりも、授業で得る専門知識と共に、自身の人格を高めていくことが、今の目標。

渡米後、1年経たない内に、こうやって意識が変わっているのが自分でもわかる。2年後、卒業する頃にはどれほど成長できているのかを想像すると、将来が楽しみでならない。
自分の手に負えないことをやる。
これは漫画家であり芸術家でもある井上雄彦氏が大切にする考え方。そして今ある自分の境遇を精一杯やり抜こうと決意させてくれる言葉。

いつかこの文章を読み返す頃にはさらに、人として恥ずかしくないような人物になっていることを願う。


2011年2月14日午前4時

2011年2月3日木曜日

雪で休校







猛烈に雪が降った。一晩でここまで積もったのを見たのは初めて。1枚目が先日軽く雪が降ったとき。2枚目が昨日の午後。3枚目が今日の朝。テーブルベンチが氷山の一角に。笑

こんな感じで大学の授業は丸二日休校だった。


2011年2月2日19時

2011年1月29日土曜日

トゥルーマンへの日本人入学希望者へサポート開始

最近は、トゥルーマン州立大学への入学を希望する日本人学生へのサポートを授業に支障が出ない範囲で行っていこうと思っている。留学を目指している日本人学生の役に立ちたいと思いボランティアでサポートを開始。

今まででやったことといえば、高校(母校)に資料送付、高校の頃お世話になった個人経営の塾長に資料送付、ぐらい。

今後はブログなどで問い合わせがあれば順次対応していきたい。



2011年1月29日19時

2011年1月23日日曜日

授業とクラブと音楽と

最近は授業で忙しい毎日を送っている。

今学期の授業はやりがいがある。ここで学ぶ微積分学/Calculusはまた一味違う。経済に直結した金利やGDP成長率なども扱ったりする。グラフを使う統計学/Statisticsも興味深い。微積分学と統計学を駆使するマクロ経済学(Intermediate Macroeconomics)は難しいがとても実践的。

また、Public Speakingのクラスでもたくさん学ぶことがありそう。ただ、管理会計学/Managerial Accountingのクラスでは教授の教え方が理解できないので、今後どうなるかは様子を見るしかない。

授業の他には、先学期から文科系クラブに所属している。

SSAS(Society for Sino-American Studies)
いわゆるアジア系(主に中国人)学生の異文化クラブ。毎回、社会で起こっているトピックを1つ、議論するといった形式で行われる。

また、今日は息抜きに、1人部屋にこもって2時間半、英語の歌を歌った。こうして娯楽も兼ねて洋楽を歌う度に自分の英語力(理解での面と発音での面)の進歩に気づく。

2011年1月22日9:19PM

2011年1月18日火曜日

MECE 学んだこと

MECE=Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive。日本語ではミーシー=もれなく、重複なく、という考え方。

同大学の先輩から教えてもらった新たな知識。論理的思考/ロジカルシンキングをするときに大切な基礎となるとのこと。

MECE=もれなく、重複なく。



2011年1月17日8:00PM

2011年1月7日金曜日

仕事についてもうちょっと考えてみた

新学期がもうすぐ始まる。

Intermediate Macroeconomics/中級マクロ経済学の授業に必要な教科書を昨夜、アマゾンで注文した。他に必要なのはStatictics/統計学、Calculus/微積分学、Public Speaking/プレゼンクラスの教科書。アメリカの教科書は思った以上に値が張る。なのでAccounting/会計学の教科書はすでに友人から安く譲った。

さて、本題は前回の続き。(前回の投稿はこちら

自分は卒業後何の仕事に尽きたいのかを考えたとき、大きく4つの業種に絞られた。

  • IT
  • 金融
  • コンサル
  • メーカー

まず、なぜITなのか。インターネット上で行うビジネスに興味があり、もし将来起業した際に、ITスキルは必ず必要となってくる能力なのは間違いない。また、IT業界は今後さらに成長するポテンシャルが非常に高い。

次に、金融(投資銀行)。毎日が挑戦の連続で、1つ1つの決断に責任が伴う為、こういった環境には、自分自身が成長するには最適な環境が整い、見習える先輩や、共に切磋琢磨する同僚が多いのではないか(と仮定している。さらに研究が必要)。今は元金はないが、将来個人で行う投資の知識も身に付くということも魅力的な面である。

それから、コンサル会社でのコンサルタントとしての仕事。数ヶ月前、同大学の日本人の先輩がデロイトトーマツコンサルティングに内定が決まった。それまでコンサルタント(コンサルティング)という仕事についてそれほど知らなかったため、これを機会にいろいろと調べてみた。数人でチームを組み、1つの課題(クライアントの依頼)に対して数ヶ月(1ヶ月から長くて1年?)ほどかけて新規プロジェクトを行う。何度も分析をした後、客観的な立場から企画、解決案など提案する(らしい)。この業界も金融と同じぐらいハードで、やりがいがありそうだ。コンサルタントという立場に居ながら、クライアントの依頼内容によって様々な業界(メーカーや銀行、ベンチャービジネスなど)に関わることができるようで、日本を軸にして、日本国内に留まらず国際的な仕事を行うことができるのもコンサルティングファームで働く魅力の1つだと感じる。

最後にメーカー。働いてみたいと思ったメーカーは、SONY、Panasonic、SAMSUNG、P&Gの4社。他にも日立製作所やSHARP、富士フィルムや味の素などにも興味がある。SONYはアメリカでも製品の評判は良いようだ。Panasonicはというと、大阪本社に併設されている松下幸之助歴史館を1度訪れた際に、彼の日本人としての哲学に感心した。SAMSUNGは今最も勢いのある電子メーカーの1つで、日本の会社にないような実力主義で思い切った経営をしているよう。P&Gは、個人的に香りの良い製品(レノアやファブリーズ、他シャンプーなど)が好きだという安直な理由。

IT、コンサル、メーカー方面を目指すのなら、授業以外のところでのインプットが重要になってくる。金融を目指すのなら、専攻で金融学?Financeもとってダブルメジャーにするか、今の専攻の国際ビジネス/International Businessを金融学/Financeに変更することが1番の近道だろう。

2011年1月6日

2011年1月5日水曜日

就活に向けた企業研究

今日は気分で、英語でも書いてみようと思う。
This is just my mood, writing in English as well.

今日は良い1日になりそうな清々しい朝だった。
I got a nice morning which makes me feel refreshed.

午前中に身体を動かすのはやっぱり良い。
It's so good to exercise in the morning.

冬休みで多少乱れていた生活習慣を、今日、昨日あたりから勉強モードに元に戻し始めている。
I'm trying to change the current holiday's daily habit back to the normal one because of this winter break.

就活の為、昨日いくつかの企業を簡単に調べた。
For job hunting, I've checked some companies.

調べた企業は、
Companies I checked are:

(10B, 09B, 10T, 09T, はそれぞれ、2010、2009年のボストンキャリアフォーラム、2010、2009年夏の東京キャリアフォーラムへの参加企業を表す。)
(10B, 09B, 08B, 10T, 09T represent that the company joined in the Boston Career Forum in 2010, 2009 or 2008, or Tokyo Career Forum in the summer, 2010 or 2009.)

IT サービス / IT Servise

  • グーグルジャパン / GOOGLE 08B
  • ヤフージャパン / Yahoo! Japan
  • アマゾンジャパン / Amazon 10B,09B,08B
  • 楽天 / Rakuten 10B,09B,09T
  • ワークスアップリケーションズ / WORKS APPLECATIONS 10B,09B,08B
  • 日本オラクル / Oracle Japan 08B

金融 / Finance

  • 野村證券 / Nomura Shoken 10B,09B,08B,09T
  • ゴールドマン・サックス / Goldman Sacks 10B,09B,08B,09T
  • J.P.モルガン / J.P. Morgan 10B,09B,08B
  • モルガンスタンレー / Morgan Stanley 10B,09B,08B
  • メリルリンチ日本証券 / Merrill Lynch 10B,09B,08B
  • クレディ・スイス証券 / Credit Suisse 10B,08B
  • ドイツ銀行 / Deutsche Bank Group 10B,09B,08B,09T

コンサル / Consulting

  • ボストンコンサルティンググループ / Boston Consulting Group (BCG)10B,09B,08B
  • マッキンゼーアンドカンパニー / Mckinsey & Company 10B
  • ベインアンドカンパニー / Bein & Company
  • デロイトトーマツコンサルティング / Deloitte Touche Consulting 10B,09B,08B
  • A.T. カーニー / A.T. Kearney
  • アクセンチュア / accenture
  • ローランドベルガー / Roland Berger
  • 野村総合研究所 / Nomura sogou kenkyujo 10B,09B,08B

メーカー / Manufacturer

  • ソニー / Sony 10B,08B
  • パナソニック / Panasonic 10B,09B,08B,10T,09T
  • 日本サムスン / Samsun (Japan)
  • ピーアンドジー / P&G 10T,09T

興味のある業界はITサービス、金融、コンサル、メーカーの4業種。
My interests in business field are these; IT, Finance, Consulting, and Manufacturer.

これらのほとんどが難易度高めの狭き門。
It is so competitive and difficult to be offered by them.

今後就活を開始すれば否が応でも自分の能力の低さを痛感するかと思う。
After when I've started participating in recruiting activities, I think I will painfully be aware of my poor skill sets.

自身の興味関心は常に何か新しい面白いものを探すという特性があるのだろう。また、効率的にかつ一歩一歩、人間性と自身の能力を磨き上げたいという思いもある。
My interest is always to seek something new, and develop myself and my own skills effectively but step by step.

そのためには、確固たる信念と計画を持ち、且つ逆算して卒業までに今できることをやっていきたい。
For that, I wanna try and move on with a belief and plans during being a student.

今年最初に書いた5つの抱負は、まだまだ抽象的でしっかりしていない。
New Year's five things which I wrote are not so clear yet.

もっと具体的にしていければと思う。
Hope I can make those more clear.

2011/01/04 6:40pm
(01/04/2011)

2011年1月1日土曜日

2011年に

年が明け、早速で今年の抱負を。

  1. 留学の核となるであろうこの1年、後悔はないように行動
  2. 英語だけでなく、専攻のビジネスの授業でこれから学んでいくことを自分のものにする
  3. 中国語を習得(友人らと簡単な会話ができる程度)
  4. 就職活動(東京とボストンのキャリアフォーラムに向けて)
  5. やりたいこと(ビジネス、旅など)、何か新たな行動をしてみる

達成を図れるようなKPIはないけれど、これらを達成できるような1年にしたい。

2011年1月1日午前2時投稿