2013年5月17日金曜日

Truman State University卒業に至るまで②

振り返るのは今から約7年前。

高校3年生当時の大学受験に差し掛かった当初、英語を学びたい(英語を話せたらカッコいいだろうな)という理由で 北九州市立大学 を地元の親友と目指した。

受験勉強をしていく中で、徐々に留学したい(外の世界に行ってみたい)と思うようになり、北九大を受験することなく(親友にはすまないと思っている)、大学からの派遣留学生数が当時一番多かった大阪府にある関西外国語大学に行くことを決心した。



そして4月、無事に希望していた同大学の学生になることができた。

新鮮な学生生活ではあったものの、英語ネイティブの先生が受け持つ授業以外は、面白いと思うような科目には恵まれなかった。

周りの学生にしても、特にこれといったやりたいこともなく大学には卒業する為に通っているといった感じの「なんとなく学生」が大半だった。

そんな環境の中で、留学する為だけに計4年間この大学に在籍するのは「あり」か「なし」かと悶々と自問し続けた。



そして 2007年8月、大学1年目の夏休みに入った。

夏休みに入る前に大学に来ていたCIEE(海外ボランティアを推進する国際NGO)に申し込んで於いたプログラムの返答が来ていた。



渡航先はフランス。



希望の英語圏には行けずに第二外国語として当時履修していた言語の国へ行くことが決まった。

19歳にして初海外。

しかも地球の反対側でフランス語は全くしゃべれず、英語は一般的な大学1年生レベル。

場所はフランスの、Toulouseから数時間のSt. Izeraという片田舎の村。

参加メンバーはヨーロッパ人が多数派のフランス、スペイン、ドイツ、北欧からの10数人でアジアからは日本人2人、韓国人2人(韓国人ら途中帰国)のワークグループ。

マイノリティということもあり、その中でのカルチャーショック+ホームシック。

寝食を共にするメンバーと意見を交換していく中で、自分の中に確固たる意見がないことに加えて、英語(フランス語)で言いたいことを言えないことの悔しさを痛感。

高い渡航費を出してまでどうしてボランティアに来たのかを考える日々。

ボランティアをしたかったというよりも、ただ単に海外に行くきっかけがほしかったという不純な動機で動いていた自分。

だけど今振り返ってみると、結果的に「日本」という殻を破ったことが自分の中では大きかったのかなと。

出発前に貯めた2か月間のバイト代はなくなったが、4週間のフランス田舎滞在と1週間のパリ、ロンドンでの初バックパック旅を体験したことは自分の世界を1つ大きくする上での最初の一歩となったことは確かだと今では思う。



そして最後にもう一つ、芸術の都パリは意外に汚かった。。。




『Truman State University卒業に至るまで③』に続く。



Today's Quote:

A man is a success if he gets up in the morning and gets to bed at night, and in between he does what he wants to do.
-Bob Dylan

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